LaGG-3の最終生産ロットSeries66。
各部の改修と軽量化により大幅に改善されたこのモデル。
その配備された連隊と、対日戦への参加の実態(←こっちが本題)について少し追ってみた。
このシリーズ66はOKB-21で設計されたLaGG-3の最終生産ロットである。第31工場で1943年春から1944年7月にかけて計229機が生産された。風防がLa-5と同一の物となり、排気管も片側3本の物から4本へ変更された。軽量化も行われ、ついに重量が3 tを下回る2,990 kgとなり原型機I-301とかなり近い値となった。空力洗練として各部形状も修正され、主翼付け根のインテークが長方形から楕円となるなどいくらかの変化が見られる。
Airwar.ruではBf109G-6やFw190A-3に対抗できる性能と記述されているが、実際の所はどうか分からない。
(平均的な液冷機の性能には達していたと書かれる事は多いが……?)
いくつかの本やサイトでは、1945年8月からの対日戦に参加したとされる。今回のメインはこちらだが、後に記述する。
まず配備された連隊について。
【88 IAP/88 ИАП】
1943年春のクバンの戦いに88 IAPや他の部隊に配備され実戦参戦。この連隊は1942年から44年にかけてLaGG-3を装備していたという。使用機材は40-43年はI-16、42-44年はLaGG-3、44-45年がLa-5であった。
尾翼に3ケタの数字を描き込んでいるのが特徴。「915, 932」などの比較的大きな数字が使われているが、その理由は不明。(機番は生産番号から取っているという話を聞いた事があるが、それだろうか?下2ケタでなく3ケタとした?)
【7 IAP/7 ИАП ЧФ】
黒海艦隊航空隊所属。情報が少なく詳細は不明だが、以下の様な写真がアップロードされている。
参考:
http://www.radiozvezda.ru/pomnim-o-proshlom/photos/7291/?sortby=date
http://www.radiozvezda.ru/pomnim-o-proshlom/photos/7292/?sortby=date
【9 IAP/9 ИАП ЧФ】
黒海艦隊航空隊所属、1944年にはクリミア半島に基地を置いていた。
コクピット後部の小さ目なナンバリング描き込みと、垂直尾翼の白い帯状マーキングが特徴。
勝利のライオン(?)のマークを描き込んだパイロット、Yuri Shitov(文献によってはLt. Yuri Shchipov/Shipovとしている)が有名。
同連隊の写真では20, 24, 31, 32, 43などのナンバリングが確認出来る。43はライオン付き、Yuri機である。
参考:
世傑P.60下部
http://mig3.sovietwarplanes.com/lagg3/9iap/9iap.html
http://airfighters.ru/shipov_u.php
【41 IAP/41 ИАП ТОФ】
海軍太平洋艦隊航空隊(ВВС ТОФ)所属
元々はI-16やMiG-3など、旧式のお下がりを運用していたが、1944年春にこれらをLaGG-3に置き替え、そしてその後La-7を導入したという。
対日戦では海軍の基地であるソヴィエツカヤ・ガヴァニにおいて、施設の防空の任などに就いた。
参考:
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9B%D0%B0%D0%93%D0%93-3
……などなど、他にもあるようで、意外と広く使われていた様子。
”Самолёты ЛаГГ-3 применялись в боевых действиях против Японии в 1945 году, в качестве истребителя ПВО, для прикрытия своих объектов (в частности, 41-й иап ВВС ТОФ)”引用場所:https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9B%D0%B0%D0%93%D0%93-3
直訳すれば"LaGG-3は1945年の対日戦において、施設を保護する防空戦闘機として使用された。(具体的には41 IAP VVS TOFにて)"的な内容となる筈である。
第二次大戦における41 IAP TOFについて調べると、ソヴィエツカヤ・ガヴァニという地名に行きつく。
ソヴィエツカヤ・カヴァニ-Wikipedia:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%84%E3%82%AB%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%8B
見ればロシア極東部の港湾都市とある。実際にGoogle mapにて見てみよう。
ここがソヴィエツカヤ・カヴァニ。少しズームアウトしてみると分かるが、樺太のすぐ隣、というか対岸である。つまるとこ太平洋方面における最前線基地……という認識でいいのだろうか?
さらに調べると、Postovayaなる飛行場が出る。ソヴィエツカヤ・カヴァニから北に少し行くと見える大きい飛行場だ。露Wikiに記事があり、そこで41 IAPについても触れられていた。
Постовая (аэродром)-Wikipedia(ロシア語版)
ここによれば、41 IAPはここからソヴィエツカヤ・カヴァニ付近施設の防空を行っており、攻撃任務にも参加していたようだ。いい加減かもしれないがどうにか訳してみる。
まず最初は……「8月10~14日、LaGG-3を装備する連隊は、敵が防衛するEsutoro, Toro, Ushiroを目標とした爆襲撃任務(原文:бомбоштурмовых)に就いた。この任務では50 kg爆弾2個を装備し、計54回の出撃を行った。」となっている。
LaGG-3はSeries11で爆弾懸架が可能となっており、50~100 kg爆弾が使用出来た。恐らくこれを利用したのだと思われる。
基地から対岸までは大体140 kmほど。Series66の実用航続距離は650 kmほどであるので、離着陸や集合、攻撃、爆装時の燃費を考えても十分足りるだろう。
目標のEsutoro, Toro, Ushiroはそれぞれ地名で、恵須取町、塔路町、鵜城村である。恵須取港と塔路港は10日以降海軍航空隊の目標となっていたらしく、これに加わったものだろうか。
ロシアと日本の地名の対応表はここが分かり易い(またしても露Wiki、日本語併記)
次は……「8月16日・17日、連隊はТоро(塔路町)への上陸作戦の支援に参加し、計30出撃を行った。」とある。
前日の15日に艦艇多数がソヴィエツカヤ・カヴァニから出撃しており、16日早朝からは艦砲射撃と海軍航空機の援護のもと上陸作戦が行われている。翌日のものを含め、これらを支援したのだろう。
任務関連では最後となるのは……「8月18日の出撃では、樺太南部を目標とした第55急降下爆撃連隊(訳あいまい、原文:55-го пикировочного полка)所属のPe-2の護衛を行った。」とある。大祖国戦争(独ソ戦)でも行っていたように、爆撃機の護衛任務を行っていたという事だろう。目標が分からないが、少しばかり遠いので増槽を付けたりしたのだろうか?記述が少なく詳細は不明である。
最後は「任務において非戦闘の理由(事故)によってLa-7戦闘機 1機を失った。」で締められている。LaGG-3の損害は勿論、連隊における戦闘損失も無かったらしい。
LaGG-3は45年中までしか使われていないと言われている。もしかするとこの41 IAPの任務がLaGG-3の最後の任務であったのかもしれない。
以前調べて呟いた事だけをまとめるつもりが、意外と追加が多くなってしまいました。うーむ。
でも調べる中で、パズルを一つずつはめていくような楽しさはありました。久しぶりに面白い調査が出来たと思います。
2016-05-30(23:58)
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