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ソ連製航空機のうちいくつかは、ソ連以外の国でも運用されていた。その中でも特異な例が、交戦国によって使われたというものだ。フィンランドは各国から航空機を購入し運用していたが、かの国は鹵獲した敵軍機をも自国軍機として運用していたのだ。
そのうちの一つがソ連の主力戦闘機 LaGG-3であった。
LaGG-3は、既存の機体では対処が困難であった「高速爆撃機ペトリャコフ Pe-2用の迎撃機」として配備が決定された。これは当機が「高速ながらも空戦向きではない」という評価によるものだった。
LeLv32に最初のLaGG-3が到着したのは1943年3月18日3月11日。その後さらに2機を受領している。この部隊は元々Hawk 75A(米カーチス P-36の輸出モデル)を装備しており、そこに当機が編入されたという事だろう。1944年まではLeLv32で、その後はHävLLv11で運用された。(?)
フィンランドはBf109G-2の「MT-213」、B-239の「BW-368」、Hurricaneの「HC-461」などの様に、各機種ごとの記号+数字の形式で機番を付けることとなっていた。LaGG-3には"LG"が割り当てられ、3機はそれぞれLG-1, LG-2, LG-3とナンバリングされた。
フィンランドのLaGG-3は計3機存在したにもかかわらず、これらの出撃は基本的に単機で行わなければならなかった。これはエンジンの故障や弾薬の供給など、様々な理由によるものだった。
唯一複数機で飛行したのは、1943年10月27日の出撃のみであった。この日はLG-1とLG-3が共に出撃、1機のPe-2と2機のMiG-3と会敵したが、どちら側も損害は出ずに終わった。
爆撃機1機と戦闘機2機という組み合わせは特異なものに見えるかもしれないが、ソ連の偵察機搭乗員のインタビューによれば、「偵察機は1機に対しMiGやLaGGのペアが護衛に付いた」とのコメントもあり、これは恐らくそのケースではないかと思われる。[独自研究]
フィンランドのLaGG-3が挙げた戦果は、1944年2月16日の出撃における1機のみである。奇しくも敵の機種は自機と同じLaGG-3(415 IAP所属機)であった。
1944年9月4日の休戦までに3機は計45出撃を行った。LG-1は1945年1月23日に最後の飛行を行い、29日には全LaGG-3の運用を終了した。
◆LG-1
1942年2月初め、1機のLaGG-3がラドガ湖氷上に不時着した。黒、もしくは赤で29(※)と書かれていた機体で、Series 4であったとされる。
Series 4とは、初期の生産モデルの一つで、外見上の特徴としてはラダーの下側のマスバランスの削除や、排気管後方の耐熱パネル形状が異なるなどの特徴を持つ。また、軽量化のため、元々2挺あったUBS 12.7mm機関銃を1挺に減らしている。他にも細かな違いはあるが、そういう記事ではないので割愛。
※:オスプレイの『LaGG&Lavochikin Aces of World War 2』では「赤の29」としている。白黒写真における赤と黒の見分けは困難。
1943年3月18日、LeLv32にLG-1とナンバリングされた最初のLaGG-3が到着し、23日には初の空中戦を行った。
LG-1は後述のLG-3に続き、2機目に配備されたLaGG-3となった。Pe-2の迎撃の任に当たったが、年内には戦果を挙げられていない。
1943年11月4日、パイロットのS・Alapuroがパトロールを終えた際、(恐らくうっかり?)主脚を展開し忘れてしまい、胴体着陸をしてしまった。パイロットは軽傷だったが機体は損傷しており、1944年1月末まで修理が行われた。
1944年2月に再びLeLv32へと戻された。そして1944年2月16日、Eino Koskinen(※)がこのLG-1にてソ連のLaGG-3を撃墜した。これはフィンランド空軍のLaGG-3が唯一記録したスコアとなった。
彼は10:45にPe-2迎撃の為に上がり、Kinkiyevaの北西でPe-2と護衛のLaGG-3を発見した。Pe-2に攻撃を掛ける前に発見され1:2の空戦となり、1機を損傷させ、もう1機を撃墜した。損傷機は空戦から離脱していき、撃墜機は国境を抜けた先で森に墜落したという。これがフィンランドのLaGG-3による最初で最後の戦果となった。
LG-1の合計飛行時間は67時間55分であった。
※:Eino Koskinen:LeLv32のパイロット。Hawk-75で11機を個人撃墜、1機を協同撃墜していた。
◆LG-2
1942年2月20日、フィンランドは不時着した赤の33を鹵獲した。元々は単色の冬季迷彩が施されていたが、修理の際にフィンランド式の緑と黒をメインとした迷彩が施された。
こちらの型も初期の生産モデルであるSeries 2とされる。LG-1のSeries 4より前の物で、搭載火器などが異なっている。フィンランドでの運用時にどうなっていたかは不明だが、元々の武装は同軸と機首にUB(12.7 mm)が3丁、ShKAS(7.62 mm)が2丁という構成であった。(※)外見的な違いとしては、ラダーのマスバランスが上下にある点が挙げられる。
LG-2はLG-1に続いてLeLv32に配備された。1944年7月19日に緊急着陸を行い修理が行われ、そして8月30日には主脚損傷で大破。今度は修理困難な状態となってしまったらしい。その為他の2機と比べ運用は短く、飛行時間は26時間35分であった。
※:資料によってはShVAKの搭載はSeries 2からとしているものもある。
◆LG-3
1942年9月14日、フィンランド空軍のAltto Tervoは第524戦闘航空連隊所属のLaGG-3を攻撃し、ヌーモイラにて不時着に追い込んだ。
この不時着機をフィンランド軍が接収、他の機体のパーツなどを用いて修復しLG-3として運用した。この機は1942年8月11日に工場から引き渡されたばかりのSeries 35であった。
これは1942年8月から生産開始の最新モデルであり、冷却器等各部の形状変更や自動スラットの実装などが行われるなど、空戦性能の改善が行われていた。これらの改修の結果として、Series 35は「1942年型の中で最も成功したモデル」とされている。
3機の中で最後に鹵獲されたLG-3だが、LeLv32に配備されたのは1943年3月11日のことであり、最初に配備されたLaGG-3となった。
フィンランドで運用されたLG-3は、その後いくつかの改修が見られる。1944年にはアンテナの変更や尾輪の固定式化を施しているようだ。
LG-3はLG-1と同様1945年まで可動状態であったものの、こちらは戦果をあげる事は出来なかった。
1945年4月に残存機LG-1及びLG-3の塗装が改められ、青いスワチカは白地に青い円のマークに置き換え、塗装も下面が薄い水色と上面が緑と黒のみのものに改められた。どちらの機体もこの塗装で飛ぶ事は無かったという。
その後残存する2機は処分され、現存していない。
フィンランドには他にもI-15系やI-16、SB、Pe-2/3なども配備されていたという。今後これらも調べて行きたい。 (´・ω・)
【他国に渡ったソ連機】シリーズ
第1回:フィンランドのLaGG-3 (本記事)
第2回:ルーマニアのI-16とMiG-3
第3回:チェコスロヴァキアのソ連機
<参考リスト>
=書籍=
■『世界の傑作機 No.143 ラヴォチキン戦闘機』, 文林堂, (2011)
■『Lavochkin Fighters of the Second World War』Jason Nicholas Moore, Fonthill Media, (2016)
=Web=
http://wunderwafe.ru/Magazine/AirWar/68/05.htm
http://wunderwafe.ru/Magazine/AirWar/68/04.htm
http://forums.airbase.ru/2015/11/t60316,2--lagg-3-vsyo-taki-grob.5991.html
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