更新履歴 (内容に変化ないものは除く)
2023年最初の記事は、弊HP初の"航空機がメインでない記事"である。それで何を取り上げるかというと、タイトルの通り『ソ連空軍にあった報奨制度』だ。また、それらと共に発せられたものについても紹介してみようという感じ。
【注意】
本記事は国防人民委員部による命令等の“一次資料”を扱ったものです。筆者自身はロシア語には全く精通していないため、当該資料の翻訳は「日/英訳された二次資料」があればそれを基本とし、無い部分については機械翻訳にかけたものをベースに、二次資料の類似部分や辞書を参考に修正して使用しました。
誤訳と思われる個所を見つけた際は、お手数ですが本記事下部のコメント欄か、何でも送れるフォーム(評価フォームは返信できません!)、またはTwitterアカウントまでお願いいたします。
ソ連軍には世界で唯一ではないにしろ、色々と変わった要素がある。独自の思想により生まれた数々の兵器群もそうだが、制度の面でも他に類を見ないものがあった。そして兵士たちの士気を高めるための『褒美』にも、そうしたものが見られる。
有名なところでは『100gの配給』と呼ばれるものがあった。これは前線の兵士たちに、規定に沿って定められた量のヴォトカ (ウォッカ) をふるまっていたものだ。ソビエトでは1928年に『節酒令』が出ていたが、独ソの戦いにおいて兵士の士気を高めるためヴォトカを配ることとしたのである [註1]。もちろん空軍パイロットたちも対象であり、「1回の出撃に対し100g (4回出撃なら400g!)」といった具合であった。
そしてヴォトカの他にも「何かを規定数達成した時に得られる褒美」もあった。それが今回のメインテーマだ。
ソ連空軍における「報奨制度」は、国防人民委員部(NKO, 露:НКО) と略される、以降略して記載)より発せられた命令『第0299号』によって導入された。これで定められた条件を達成すれば、自動的に報奨が得られるという非常にシンプルなものである。分かりやすい例を挙げると「戦闘機を撃墜したら1,000ルーブルを与える」などがあった。
これより以前にそのような「報奨」がなかったのかというと、そういう訳ではなかった。この『第0299号』の前 (と言ってもほんの少し前だが……) に出ていた『第0265号』は、1941年8月7日から8日にかけての深夜に行われた『(大祖国戦争における) 初のベルリン空襲 [註2]』の成功を称え、爆撃をした機の搭乗員全員に2,000ルーブルを与えるというものであった。そしてこの中で「今後、ベルリンに爆弾を投下した搭乗員全員に2,000ルーブルを与えることとする」旨記載されている [註3]。
これが発せられたのは、1941年8月19日─ドイツ侵攻からそう時間が経ってない、ソ連軍が苦境に立たされていた最中のことである。冒頭にも書いた『100gの配給』もこの6日後に出された命令『第0320号』から始まることから、いかに苦しい状況をどうにかするために必死だったかが伺える。
今回の調査ではこの『ベルリン空襲』にまつわるものしか見つけられなかったが、他にもあったのかもしれない。今後見つけ次第追記をしていくつもりだ。
[註1]:なお大祖国戦争より前、冬戦争の時にもウォッカの配給は行われていたそうだ。ちなみに『100gの配給』は1942年に一般兵士に対しては廃止され、パイロットなど一部に対してのみ継続したそう。
[註2]:1941年8月7日~8日に行われた爆撃は、海軍のバルト海艦隊航空隊のDB-3 (第1機雷敷設雷撃航空連隊所属; 1 MTAP)
によって行われた。これといった打撃は与えられなかったが、モスクワ空襲に対する報復として、また損害も無かったこともありプロパガンダに活用された。なお後日行われたYer-2とPe-8による首都爆撃では大きな損害を出している (またこれは両機種の初陣でもあった、散々なデビューである)。
[註3]:文書には「最初のベルリン空襲に参加した部隊 (バルト海艦隊の1 MTAPのこと) と第81長距離航空師団に対し」とあり、全軍が対象ではなかった。とはいえベルリン空襲の計画に参加していたのはこれら2部隊のみであり、首都爆撃を行うことは予め計画を立てて行うので、それはそうだろうというお話。
◆NKOの命令『第0299号』
それでは実際の報奨とその条件を見ていこう。流石に全文は掲載していられないので、適宜省略や抜粋をしていく。
内容一つ一つはとてもシンプルで、「この条件を満たせばこれが得られる」ということが並べられている。各種別のパイロットの報奨と条件については、4つに分かれているうちの1つめに定められている。これを"大項I"とし、以降もそれぞれ大項II, III, IVと呼ぶこととする。
【戦闘機搭乗員】
まずは一番有名であろう戦闘機パイロットについてから。戦闘機は様々な役割を請け負うこともあって、条件の種類は複数用意されており、それには敵機撃墜・対地攻撃・敵飛行場攻撃がある。
敵機撃墜はとてもシンプルで、まず原則として「空戦で敵機を撃墜するたびに1,000ルーブルの現金が与えられる」ことになっている。そしてそれに加え、「3機を撃墜すると政府からの表彰」があり、さらに3機─「計6機で2回目の表彰」を受ける。そして「10機を撃墜したら、最高の栄誉たる『ソヴィエト連邦英雄 (以下 "ソ連邦英雄")』の称号を受ける資格を得る」となっている。
他の航空機搭乗員・種別もこのような項目が3~4件ずつ定められている、以降箇条書きでまとめていくこととする。
なお敵機撃墜の承認は、「他の戦闘機や地上部隊の指揮官の証言・確認、また報告した撃墜地点に敵機の残骸が確認された場合」などに限られる。これはドイツ空軍などの戦果承認制度とほぼ変わりはないだろう。
次に対地攻撃─敵地上軍への攻撃任務。こちらの報奨の条件は敵の破壊数などではなく「出撃回数」となっている。
なお「出撃回数」とは言っても、ただ任務で出撃すればカウントされる訳ではない。攻撃に成功し帰還、かつその有効性を「味方地上部隊の指揮官、もしくは偵察の結果によって確認された場合」のみ有効なものとして扱われる。つまるところ「攻撃を成功し帰還し、敵に有効打を与えたと認められた場合」ということだ。
そして敵飛行場攻撃、これは対地攻撃とは別に設けられており、その達成条件の回数も前項とは異なっている。また条件にも要素が増えている。
最初の条件は「敵飛行場の航空機破壊を4回成功で1,500ルーブル」とシンプルだが、次の条件からは昼間と夜間でそれぞれ異なる回数が設けられている点が異なる。
なおこちらも前項と同様、「敵に有効な攻撃をした」ということが確認されなければならない。流石に前線からは遠い地点にある目標なため、「写真または偵察情報により確認」とされている。
この2つはなかなか興味深い。まず対地攻撃とは別に敵飛行場攻撃専用の条項が設けられているところだ。敵飛行場の攻撃だけ分けられており、またその達成回数も異なっている。これは後者がより高い難易度で、達成が難しいことを示している。
また敵飛行場攻撃について、昼間と夜間で別の基準を定めているのも面白い。こちらも難易度が違うからというのが理由であろう。それぞれの任務を成し遂げるのがいかに難しいと思われていたかを読み取ることができよう。
【近距離爆撃機・襲撃機搭乗員】
ソビエトには"近距離爆撃機"と呼ばれる機種がある。前線付近の目標を攻撃する、小型単発機で少量の爆弾搭載量をもつ軽爆撃機カテゴリだ。これにはスホーイのSu-2 (BB-1とも, BBは近距離爆撃機の略) が該当し、もしかすると偵察機と兼用のニエマン R-10なども含まれるかもしれない (未確認)。そしてイリューシン Il-2などの襲撃機に乗る人員がこのカテゴリの対象者となる。
ここでも昼間と夜間それぞれに回数が規定されている。
こちらも他と同じく、攻撃の有効性がカウント条件となっていた。ここでは「爆撃時または3~4 時間後の写真や情報によって確認されること」だそうだ。
近距離爆撃機と襲撃機には、操縦手に加え"機銃手兼無線手 (原語:стрелок-радист)" が搭乗するため [註4]、そちらも含めた文言で報奨が定められていた。そして上記に加え、操縦手と機銃手兼無線手には以下の様な敵機の撃墜に関するものも設けられていた。
モスクワの戦いにおいては、襲撃機がドイツ空軍の輸送機を撃墜した例があったが、それらの乗員は上記の報奨を受け取ったことと思われる (未確認だがそうなる筈である……たぶん)。
操縦手だけでなく機銃手にも『ソ連邦英雄』のチャンスがあるというのは、少し夢がある話と言えるだろうか?
[註4]:なお『第0299号』が発せられた1941年8月時点では、Il-2は単座であった。複座型になった際には、機銃手にこれが適用されたことだろう。
【長距離爆撃機・重爆撃機搭乗員】
ここでも異なる2つの機種の搭乗員を対象としている。ソ連機の命名規則の通りではあるが、長距離爆撃機─DBはイリューシンのDB-3/Il-4やイェモラーエフのYer-2 (DB-240)、重爆撃機─TBはペトリャコフのTB-7/Pe-8が該当する。いずれも他国で言えば「戦略爆撃機」にあたるもので、任務としても敵後方の戦略目標を爆撃するのが任務となる。報奨の条件もそれに準じた内容になっている。
なおソ連において戦略爆撃は原則として夜間にのみ行われるため、昼間/夜間に分けての規定はされていないようだ。
「産業上および防衛上重要な目標を爆撃した場合、DB (長距離爆撃) およびTB (重爆撃機) の乗組員は、爆撃が成功するたびにそれぞれ500ルーブルの現金報酬を受け取る」。
また”産業上・防衛上重要な目標以外の敵目標”については、「短距離爆撃機の搭乗員に対するものと同じ内容で報奨と政府の表彰を受ける」とされる。
そしてさらに、敵の政治的中心たる首都爆撃についても規定されている。「爆撃が成功するたびに、乗組員の各人が2,000ルーブルの現金報酬を受け取る」ことになっており、更なる爆撃に対しては以下の通り。
これは冒頭で挙げたベルリン空襲に関する命令『第0265号』にあるのと同じで、これによって空軍全体 (実際は長距離爆撃部隊だけだが) が対象になったということになる。
それにしても、戦略目標が1回500ルーブルに対し、首都爆撃はその4倍の2,000ルーブルというのは、これがいかに困難なことであるかが伺える。実際出撃に対する損害率も低くないものではある。
【短距離偵察機・長距離偵察機搭乗員】
戦闘機や爆撃機の他に、偵察任務にも報奨が設けられている。こちらも爆撃等と似通った内容でとてもシンプルだ。
この項は「短距離および長距離偵察機」と書かれているにもかかわらず、条件は昼間と夜間のみであり、短距離 (前線付近) と長距離 (敵後方) とでは分けられていないようだ。
補足:『ソ連邦英雄』に関して
ここまで各機種の搭乗員に定められた内容を書いてきた。それらの中で『ソ連邦英雄』に「なる」ではなく「資格を得る」と書いているのに気づいただろうか。
書籍によっては「条件を達成すれば自動的に『ソ連邦英雄』になる」ともとれる書き方がなされていたが、必ずしもそうなるわけではない。『ソ連邦英雄』に限らず、勲章などについても叙勲の推薦がなされるものであって、最終的にそれを承認するのは前線司令やモスクワである。実際「推薦されたが (その時は) 『ソ連英雄』になれなかった/叙勲されなかった」という例もしばしば見かける。
ひとつ例を挙げると、アブドライム・イズマイロヴィッチ・レシドフ (露:Решидов, Абдраим Измаилович) というPe-2パイロットがいた。彼は開戦より数多くの爆撃を成功させ、それらは友軍の証言や偵察結果で裏付けされていた。また、彼は航空偵察においても、しばしば敵の集結地点や物資の集積所を発見し、無線で速やかに司令部へ報告したことで、部隊が高い戦果を挙げることに繋がった。結果、連隊や師団の仲間も「彼は『ソ連邦英雄』の称号を得るに値するパイロットだ!」となり、推薦されるに至った。
彼の推薦は連隊長, 師団長, 戦線の空軍司令, そして戦線の司令官まで進み、いずれも「彼は『ソ連邦英雄』の称号にふさわしい」とされていたのだが……最終的にモスクワ上層部はそれを承認せず、その推薦は前線に返却されてしまっている (レシドフが『ソ連邦英雄』になったのは、しばらく経った1945年6月27日のことだった)。
レシドフの場合に何が問題であったのかは、今回の筆者の調べでは分からなかったが (彼の出自だろうか……?)、スターリンに嫌われるようなことがあった者などは、いくら活躍をしたとしても多くの場合『ソ連邦英雄』になることはできなかった。一番有名なのは「敵軍の捕虜となる」ことだろう。
一時でも捕虜になった者、たとえ敵から逃れ現地レジスタンスに合流し戦った者であっても、裏切り者として苛烈な取り調べを受ける羽目となり、名誉回復には他者の尽力が不可欠であった (その上で名誉を得る機会も失われた)。
また余談ではあるが、『ソ連邦英雄』とは「勲章」ではなく「称号」である。よく見られる金色の星の形をした勲章の様なもの─金星メダルは、「ソ連邦英雄勲章」ではなく、「『ソ連邦英雄』の称号を具体化したもの」なのだ。なお『ソ連邦英雄』となった者には、ソ連最高の勲章である「レーニン勲章」も与えられる。
元の話に戻ろう。各機種の搭乗員に対する報奨は上記の通りだが、『第0299号』にはそれ以外の人員に対しても報奨が設けられていた。
【指揮官・政治委員】
大項IIには、「部隊の指揮官と政治委員 (コミッサール) を対象とした報奨」が定められている。人員と物資の損失を最小限に抑えながらも、部隊が高い戦果をあげることを奨励したものだ。こちらも各種別ごとにそれぞれ個別に定められている。
◆戦闘機
◆短距離爆撃機・襲撃機
◆長距離爆撃機および重爆撃機
◆偵察機
以上となっている。正直なところいずれも困難極まりない条件に思うが、与えられる勲章がソビエトにおいて最高の勲章である『レーニン勲章』であると考えれば妥当……なのだろうか?筆者にはこの辺りの知識がないため、正直なところ「分からない」と書いておこう。
実際にこれらの条件で政府表彰や勲章を受けとった指揮官と政治委員が居たのかは、大いに気になるところである。
[註5]:飛行隊の方が"успешных самолето-вылетов (successful sorties)"とあるのに対し、連隊の方は"боевых самолето-вылетов (combat sorties)"となっていた。どうにも違いが分からなかったので、そのまま訳した内容を記載している。
【物資節約と無事故運転の奨励】
大項IIIは「機材の損失を抑える」という点では、大項IIと目的・方向性は同じである。しかし、対象と実現手段が異なっている。
まずこの項は、操縦手 (パイロット) と整備士 (メカニック) に対するものである。また、あちらは戦闘損失を減らすことを手段としていたが、こちらは戦闘外─主に事故や整備不良といった「ヒューマンエラーに起因する損失」を減らすことを目的としている。
まず操縦手には、「年功や部隊の種別 (戦闘・襲撃・爆撃・偵察のこと) に関わりなく、周回飛行 [註6] を除いた100回のフライトごとに、飛行事故が無い場合5,000ルーブルの賞を受け取る」としている。そして整備士には、「100 回の出撃ごとに、その間飛行中に故障がないことを条件として、3,000ルーブルを与える」としていた。このようなボーナスが出た場合は、その何割かの額が他のスタッフにも与えられるような文面もあったが、訳が合っているか怪しいので明言はしないでおこう (露語に自信のある方に確認していただけたら幸い)。
この大項IIIでは、これらに加えてもう一つの対象に対しても報奨が定められていた。それはPARM (露:ПАРМ) と呼ばれるものの職員で、『クルスク航空戦 上』P.12 略記一覧によれば「野戦航空修理所」だそうだ。これは連隊では修理できないとされた機体を修理し、再び使用可能にするもので、単に前線付近にある簡易修理工場と考えてよいと思われる。
PARM職員には「航空機を1機の修理に対し、500ルーブルの現金報酬を与える」とされ、また「50機以上修理した者は現金報酬に加え表彰される」とのことだ。
まとめれば、「操縦手と整備要員はヒューマンエラーによる機材の損失を無くし、損傷機も1機でも多く修理して、限られた物資・資源を節約せよ」ということだろう。
[註6]:周回飛行と訳した原文は、”Полеты по кругу”である。戦闘出撃ではなく、離陸し飛行場周囲を回って着陸する基礎的な飛行のことを指すようだ。どういう場合にこれを行うかは分からなかったが、恐らく機体のテストなどを目的としたものだろうと筆者は考えている。
『第0299号』における最後のパートたる大項IVの話に入ろう。ここまでは各種人員に対する多様な条件による報奨がつらつらと書かれていた訳だが、本項のタイトルは「個々の飛行士の間に潜む任務遂行義務放棄に対する措置」となっている。これを見て分かる通り、『第0299号』は単なる士気高揚のための報奨制度を定めたものだけではないのである。
この項では以下の内容が記されている。
不時着や事故に関する調査の厳命と、任務遂行を放棄した者は脱走兵とみなすという内容である。脱走兵となった者は”血でもって罪を贖う”─ようは「懲罰部隊で歩兵として戦う」こととなる。負傷するか、英雄的な活躍をすれば減刑もしくは前科の抹消がなされるようだが、そのような幸運に恵まれた者はそう多く無いであろう。
実際にこのようなことになった者は居たらしく、書籍やインタビュー中などで散見される。何例か見つけたものは、不思議なことにいずれもIl-2 襲撃機での話であったが、間違いなく戦闘機や爆撃機などでも同様の話はあったことだろう。
エヴゲーニー・ブーリンというIl-2乗りのインタビューでは、「イオノフというパイロットが、自機のエンジン不調を偽り懲罰大隊送りになった」というエピソードが語られている。同機種パイロットのヴァシーリー・エメリヤネンコが著した書籍『戦うIl-2 1941年の空』でも、「何もない地点に搭載火器を放ち、その後機体を不時着させ、エンジン不調と偽ろうとした結果懲罰部隊送りになる」という話があるようだ。
他にも「Il-2の編隊長マールチェンコが、攻撃目標を発見できずに弾薬を使い果たさず帰還したため、最終的に懲罰大隊送りになった」というものもあったが、これは文面通り受け取るならばいささか厳しすぎるのではと感じるが……。
念のため記しておくと、これらの例が全て『第0299号』によるものであるかは分からない。他にも似たような命令は出ており、またそれ以前にこのような行為自体が軍の命令に違反したものであるからだ。
このような例を見るに、やはり当時から機材トラブル等を偽り機材を破壊、出撃から逃れる者は居たのだろう (そも『大祖国戦争』以前からあったのだと思うが)。
大項IVの内容や、この命令が出た時期、そして当時の航空機の働きに関する不満 (戦闘機の消極的活動, 爆撃機の目標破壊の失敗, etc...) などを鑑みるに、これは単なる報奨制度導入による士気高揚とは思えない。かの「一歩も下がるな!」の一節が有名な『第227号』ほどではないにしろ、各種航空機搭乗員に「本分を全うせよ!」、指揮官らには「最小の損失で最大の戦果を上げさせよ!」、整備士には「整備不良なく兵器可動率を上げよ!」と発破をかけているのが実態なのではないだろうかと筆者は感じた。
とはいえ、開戦後にいくつもの勲章が新設されたことなどをみれば、これも報酬によって同じような士気高揚を狙っていたであろうことは、もちろん否定するつもりはない。
以上が『第0299号』についての大体の話であるが、読者の諸兄はいかがだっただろうか。
「こんな報奨制度があったなんて」という方も多いと思うし、「報奨制度は知っていたけど、戦闘機以外にもこんな広くあったとは」と思った方も居たのではなかろうか。日本語の書籍でも『第0299号』に触れたものがいくつかあるのだが、どれもその本のメインテーマ……例えば戦闘機の本なら戦闘機パイロットについての項だけを取り上げていたりして、(筆者の知る限りでは) 全体を説明したものはなかった。正直私もここまで広いものだとは、実際に調べるまで知らなかった。
……締めの様な文を書いてしまっているし、長さ的にも一旦ここで終わらせてしまっても良いのだが、単体の記事とするにはいささかボリュームが足りない、『第0299号』と関連した命令についての情報があるので、それらの紹介もしていこうと思う。
◆その他の報奨関連の内容を有するNKO命令
ソ連空軍の報奨に関する命令と言えば『0299号』なのだが、実はそれ以外にもいくつもの命令で報奨の条件の変更・追加・更新が行われている。まずは追加の例を挙げてみよう。
*『第0490号』と『第0496号』命令
この2つは類似した命令で、「爆撃機でない航空機の昼間爆撃機としての運用」についての内容になっている。『第0490号』はIl-2襲撃機、『第0496号』は戦闘機が対象だ。
1942年6月17日に出された命令『第0490号』 - 「Il-2の昼間爆撃機としての運用について」は、そのタイトル通りIl-2を昼間爆撃機として使用することを指示したものである。空軍における爆撃機 [註7] の不足から、襲撃機にも同様の役割を負わせてカバーするということだ。
具体的に何をするかであるが、要約すると「Il-2は各種爆弾の搭載パターンに沿って、600kgまで搭載して出撃せよ」とのことだ。なおIl-2の最大積載量は"600kg"であるから、「全ての機体は、過負荷かそれに近い状態で出撃せよ」と同義である。
600kgまでの搭載組み合わせは興味深い内容なのだが、今回の主題からは逸れているものであるため省略させていただく。気になる方は参考欄より原文にアクセスし、翻訳して読んでみて欲しい (自動翻訳で充分読める内容だと思う)。
ここからが本題だが、この命令には『0299号』の様な報奨の設定が添えられていた。こちらは「敵兵, 戦車, 車列などに対する爆撃および襲撃の戦闘任務を遂行する場合、爆弾を満載して4回出撃するごとに1,000ルーブルを与える」とのことだ。もちろん"満載"とは、上にも書いた「600kgまでの爆装」を指している。
『第0496号』 - 「戦闘機の昼間爆撃機としての運用について」は、『第490号』の翌日である6月18日に出された。本命令でも同様に「戦闘機はラックで爆装が出来るのだから、昼間爆撃を行うべし」とのお達しである。ソ連戦闘機はいずれも100kg爆弾を各翼1個─計200kgまでの搭載しかできないため、これかそれ以下のサイズの爆弾を搭載するとしている。
こちらでは新たな報奨を定めるのではなく、既存の『0299号』をもとにしたアップデートがなされている。これによれば「昼間爆撃用に爆弾を搭載した戦闘機の2回の出撃を3回分とみなす」とされ、戦闘機の対地攻撃出撃カウントを緩和することで報奨を得やすくする措置を取っていた。
『0299号』の戦闘機での対地攻撃の最初の報奨は「5回出撃で1,500ルーブル」であるから、上記に則れば1回分減るだろうか。以降も実質出撃回数は何回かずつ減っていくことだろう。
これら2つの命令は、何かをさせるには報酬を用意するという『0299号』と同じ匂いを感じる。これらを見ても『0299号』は単なるご褒美制度ではないという印象が強まったところがある。
[註7]:ここでいう"爆撃機"は「前線爆撃機」を指す。いわゆる戦術爆撃機であり、ペトリャコフ Pe-2のような機体のことだ。
*『第0299号』に関連した『第0685号』命令
『第0299号』と関連した命令を一つ見つけたので、ここで紹介しておこう。
これは端的に言えば「お叱り」の内容である。冒頭から始まるのは「各戦線において自国の戦闘機たちがいかに役割を果たしていないか」で、そして「敵戦闘機と戦闘をせず、敵爆撃機への攻撃すら避ける」といった具体例まで書かれている。この辺りは『世傑』などでもよく見られる、大祖国戦争 (独ソ戦) 初期のソ連空軍の話そのものだ。
そしてこれに続いて、『第0299号』に関連した内容が始まる。それによれば、NKOの『第0299号』命令では「戦闘出撃に伴う金銭的な報酬と表彰」がパイロットの士気高揚のため提供されているが、これの規則が守られていないとのことだ。
いわく「現場では”戦闘機が割り当てられた戦闘任務を完遂したか”に関係なく"出撃をした"とみなされており、敵機への積極的な攻撃をせず戦闘を回避するような卑怯者が誠実で勇敢なパイロットと同じ報酬を得ることをよしとしない。本命令ではこのような不公平を廃すべく、よきパイロットのみを奨励し、臆病者や卑怯者を特定し追放、そして処罰するべく以下を発する」……とのこと。以下適当な訳。
上の方でも書いたが、確かに『第0299号』では「攻撃に成功し帰還、かつその有効性を味方地上部隊の指揮官、もしくは偵察の結果によって確認された場合のみ有効なものとして認められる」としており、それが守られていないことを叱咤しているのだと思われる。
とはいえこれは戦果の認定の話であって、項1の後半にある「護衛時は損失なしの時」といった話は無かったが……「護衛任務なら全機守ってやっと成功だ」ということなのだろう。確かにパイロットへのインタビューで、「(護衛対象が) 1機でも落とされれば一大事であった」との話も見るし、損失という点に関して厳しく見られていたのかもしれない。
*報奨制度の更新
『第0299号』やそれに続く命令によって定められた報奨制度だが、その後全面的な改定が入っている。それが1943年10月8日に出されたNKO命令『第0294号』[註8] である。
本命令は、空軍, 長距離空軍 (ADD) [註9], 防空軍戦闘機隊 (IA-PVO), 海軍航空隊の従事者を対象としたもので、『第0299号』のように様々な役職に報奨とその条件を定めているものである。先述の通り全面的な改訂となっているため、既存の以下の命令の内容を廃止することが冒頭に明記されている。
いくつかは本記事内で紹介したもので、『第0299号』は制度自体を定めたもの、『第0490号』と『第0496号』はIl-2と戦闘機の昼間爆撃機としての運用に関するものだ。末尾の'第n項'は、命令内の報奨に関する部分を指していた。他の命令は不明だが、恐らくは似たような追加の報奨なのだろう。
内容についてだが、『第0299号』と同じかそれ以上という結構なボリュームがあるため、ここでは一部をかいつまんで紹介しようと思う。全部紹介すると本記事が2万文字を超えてしまいそうなので……。 気になる人は記事下部にある<参考リスト>から原文をあたってほしい。
基本的な構成は『第0299号』と同じで、戦闘機や襲撃機などの機種ごと、そして長距離空軍や防空軍戦闘機隊、海軍航空隊ら組織ごとに項目、そして条件が設けられている。全ては紹介できないので、変更が分かりやすい戦闘機に関して紹介しよう。
戦闘機の最初の項は「空戦及び敵飛行場での地上撃破」についてで、以下のように定められている。
色々と気になる点はあるが、1つ目は達成ハードルの引き上げだろう。
『第0299号』の時には3機撃墜で1回目、さらに3機で2回目の表彰があった。それが、爆撃機/偵察機の場合は変わらずだが、それ以外では4機の個人撃墜が必要で、2回目の表彰にはそれぞれ1機増えた (爆撃/偵察機:4機, その他5機) ものになっている。初回の『ソ連邦英雄』の称号を得るにも、爆撃機なら変わらず10機だが、それ以外の場合は1.5倍の15機の個人スコアが必要になる。これには緒戦に比べれば色々と状況が改善されていることが反映されているのだろう。
2つ目は、『ソ連邦英雄』の条件が3回目まで定められていること。
以前はどの機種においても初回の分しかなかったが、ここで2回, 3回と称号を得る基準を定めた。なおこれ以前に複数回得たものが居ない訳ではない。空軍のトップエースたるポクルィシュキンは、本命令が出る前の1943年8月24日に2回目の『ソ連邦英雄』を得ている。この時は「455出撃と30機撃墜の功績」に対するものとされており、元々これくらいの戦果が2回目の基準となっており、それが明文化されたのかもしれない [独自研究]。
敵目標に重みが付けられているのも面白いところだろう。『第0299号』では特に敵の機種に関わらずカウントしていたが、こちらでは爆撃機/偵察機の方が必要な機数が少ない=高価値目標となっている。単に撃墜難易度が高いというだけでなく、「これらをその他の機種より優先して落とせ」ということなのだろうか?
他の項目もおおよそ上記と同じで、達成ハードルの引き上げと複数回の『ソ連邦英雄』条件の規定がなされていたようだった。
金銭の報酬についても変更があり、『第0299号』では各機種ごとに設けられていたものがほぼ共通化されていた。命令内の第XIII項からが現金報酬についてなのだが、長距離空軍 (ADD) を除く全てを対象にした内容となっている。
敵航空機を撃墜については、「爆撃機, 偵察機, 輸送機は1,500ルーブル、それ以外は1,000ルーブル」となった。表彰と同じように敵機種ごと重み付けがなされており、また500ルーブル分増額されている。
出撃数もまた同じで、操縦手と航法士は戦闘出撃に30回成功すると2,000ルーブル、以降50回:3,000ルーブル, 80回:4,000ルーブル, 120回:5,000ルーブルと定められていた。それ以外の乗員 (機銃手など) は、「各ボーナス額の30%ずつ」が与えられるようだ。
長距離空軍については第XIV項で定められているが、大した変更はない。ボーナスも増額はなく、重み付けも以前と変わりないようだった。しいて言えば操縦手と航法士以外の額が下げられているようなところくらいだろうか……。
『第0299号』と『第0294号』(1943) の差異は見ていくと色々と面白いものがあるが、それだけで一つの記事としてよいようなものなので、今回はこれまでにしておこう。
[註8]:数字が若くなっているが、どうやら1943年からは年の初めに数字がリセットされるようになったらしい。公布年を添えないと混乱するので、皆も読みづらくならない範囲で添えよう!
[註9]:長距離空軍 (ADD, 露:АДД) は、最高司令部の命令をうけて活動する戦略爆撃部隊である。前身は冬戦争の頃からあり、1942年にADD (Aviahtsiya Dahl'nevo Deystviya)
として空軍から独立した。なお44年12月に再び空軍に統合された。分かり辛いんじゃ
最後に、これらの報奨制度が本当に士気高揚に繋がったのかだが……正直なところ筆者にはさっぱり分からない。
「家族に金を送って食べさせることができた」という者が居たが、一方で「祖国のため国防基金に寄付してしまったよ」という者も居た。他にも「そのような金 (ボーナス) は貰ったことはない」という話をする者まで居たりしたので、本当に分からない。そうした観点で制度のことを見るには、今の筆者には背景の知識やサンプルが不足しすぎている。
ひとまず分かるのは、これでよい思いをした者も居たし、特に損をするものではないので問題も恐らくは無かったということだけだ (与える側がどうだったかは分からないが……)。
「1,000ルーブルでは大した贅沢が出来た訳ではない」とする書籍もあったが、それでもその辺の歩兵の貰える金額に比べれば結構なものであるし、戦争という状況下ではそのようなことが休息になったのかもしれないとも思う。
まぁそもそも「報奨制度が無かったら」というIFを考えても意味が無いのだから、「意義があったか」を考えるよりは、これらを出した狙いや背景を深掘りした方が有意義なのかもしれない。……などと書いてみるが殆ど逃げである。分からんものは分からんのである。
報奨制度について思ったことなどは『第0299号』の終わりに書いたので、これで記事を〆るとする。
今回は航空機以外のものがテーマでしたが、専門外なので混合動力機Pt1記事並に疲れました。もうこういうのは書きません (一生書かないとは言っていない)。
これで報奨制度に興味を持った方が、より深く掘り下げてくれるといいなぁ……。
<参考リスト>
=書籍=
■『第二次大戦のソ連航空隊エース 1939-1945』, 大日本絵画, (2000)
pp. 10-11
■『第二次大戦のP-39エアラコブラエース』, 大日本絵画, (2003)
p. 63 (ポクルィシュキンの『ソ連邦英雄』の称号について)
■『世界の傑作機 No.129 Il-2 シュツルモヴィク』, 文林堂, (2008)
p. 33, 70
■『The Petlyakov Pe-2: Stalin's Successful Red Air Force Light Bomber (Kindle版)』Smith, Peter C.
pp. 340-341
■『モスクワ上空の戦い 防衛編』, 大日本絵画, (2002)
pp. 90-91
■『クルスク航空戦(上)北部戦区』, 大日本絵画, (2008)
p. 12 略記一覧 (PARMについて)
■『いまさらですがソ連邦』絵・文:速水螺旋人/文:津久田重吾, 三才ブックス, (2018)
L「ウォッカとソ連市民」(p. 112~)
L「勲章とメダル」(p. 106~)
=Web=
【洞窟修道院】
◆論文試訳>主力打撃戦力 - (2), (3)
オリジナル:
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/statiya3.0.html
Webアーカイブ:
https://web.archive.org/web/20190331143335/http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/statiya3.0.html
◆ソヴィエト勲章物語
オリジナル:
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/ordena.html
Webアーカイブ:
https://web.archive.org/web/20190331114355/http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/ordena.html
◆1941年の空
オリジナル:
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/1941.predislovie.html
Webアーカイブ:
https://web.archive.org/web/20190331124148/http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/1941.predislovie.html
『兵士たちとの対話』
◆セルゲイ・アルハンゲリスキー - (4)
オリジナル:
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda57.0.html
Webアーカイブ:
https://web.archive.org/web/20190330091730/http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda57.0.html
◆ドミトリー・ヴァウリン - (11)
オリジナル:
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda70.0.html
Webアーカイブ:
https://web.archive.org/web/20190331143334/http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda70.0.html
【インタビュー】
◆チホミーロフのインタビュー (露)
https://iremember.ru/memoirs/letchiki-istrebiteli/tikhomirov-vladimir-alekseevich/
◆コジェミャコのインタビュー (露)
http://www.airforce.ru/history/ww2/kozhemjako/index.htm
【各命令】
◆第0265号:ベルリン空襲
http://www.consultant.ru/cons/cgi/online.cgi?req=doc&base=ESU&n=47729#78MengSizMgoetIw
◆第0299号
露語:http://www.airforce.ru/history/ww2/ww2doc/19081941.htm
英語:https://airpages.ru/eng/dc/doc299.shtml
◆第0490号:昼間爆撃機としての IL-2 航空機の使用について
http://www.airforce.ru/history/ww2/ww2doc/17061942_2.htm
◆第0496号:戦闘機の昼間爆撃機としての使用について
http://www.airforce.ru/history/ww2/ww2doc/18061942.htm
◆0685号
露語1:https://airpages.ru/dc/doc685.shtml
露語2:http://www.airforce.ru/history/ww2/ww2doc/09091942.htm
関連した英語ページ:https://www.solonin.org/en/book_airfields/19
◆0294号 (1943)
https://bdsa.ru/dokumenti/prikazi-nko-1943/432-1/?print=print
https://airpages.ru/dc/doc294.shtml (※戦闘機の部分だけ)
【その他】
◆レシドフ、アブドライム・イズマイロヴィッチ|Wikipedia (露)
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A0%D0%B5%D1%88%D0%B8%D0%B4%D0%BE%D0%B2,_%D0%90%D0%B1%D0%B4%D1%80%D0%B0%D0%B8%D0%BC_%D0%98%D0%B7%D0%BC%D0%B0%D0%B8%D0%BB%D0%BE%D0%B2%D0%B8%D1%87
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