LaG-5かLaGG-5か?


タイトルを見てピンとくる人来ない人、後者の方が多いのではないかと思われるが、まぁ簡単に言ってしまうと「La-5の元々の名前は何か?」という話もとい疑問である。

 

これまで手元の書籍やWeb上で、「当初はLaG-5と呼ばれていた」、もしくは「LaG-5からLa-5になった」と書かれているものをいくつか目にしてきた。

 

身近な本だと、『世界の傑作機  ラヴォチキン戦闘機』のP.23で、「当初はまだ開発に関与していたゴルブーノフの名を含んでLaG-5と呼ばれることもあった。」と書かれている。

また、海外の航空機マガジンFlyPast JULY 2017号にLa-5の特集ページがあったのだが、ここにも「The aircraft was originally called the LaG-5.」と記載されている。(P.77)

 

ネット上で一部閲覧できるところでも、以下のようなものがあった。

La-5/7 vs Fw 190: Eastern Front 1942–45では「 The LaG-5 became the La-5 following order number 683, dated 8 September 1942, from NKAP.」とある。

https://books.google.co.jp/books?id=Uzq3CwAAQBAJ&pg=PA22&lpg=PA22&dq=LaG-5+NKAP&source=bl&ots=Dqz-QIhwWX&sig=2zzFGWvWb_qtbV0xYTx83SVxmsg&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjn45LD5dHWAhVCG5QKHZNJDmAQ6AEINjAF#v=onepage&q=LaG-5%20NKAP&f=false

 

Lavochkin Fighters of the Second World Warでも「re-designated from 'LaG-5' on 8 September 1942 by NKAP Order No. 683」とあった。

https://books.google.co.jp/books?id=8LVUDgAAQBAJ&pg=PT106&lpg=PT106&dq=LaG-5+NKAP&source=bl&ots=5Rggbf1O1G&sig=sl-RdouBKyiGLgyIOvzotgpjfg8&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjn45LD5dHWAhVCG5QKHZNJDmAQ6AEIPDAG#v=onepage&q=LaG-5%20NKAP&f=false

 

と、このような感じで、LaG-5からLa-5になったとしている物は多くあるのである。

 

さて、そもそもの話なぜこんな疑問を持ったかであるが、それは以下のような文書を見つけた。

http://deruluft.livejournal.com/101328.html

 

ГКО (GKO) とは国家防衛委員会であり、そこが下した決議のことであろう。 

下を見ると、何やら見慣れた機体名が並んでいるのが分かる。

2の方は、TB-7をPe-8とすると言った意味だろうか。旧命名規則によるTB-7の名が、新たな命名によるPe-8に置き換えられる事を指すのだろう。

 

そして1の方が重要だが、ここにはっきり”ЛаГГ-5”と書かれている。「LaGG-5をLa-5とする」という意味だろう。

 

ページの始めの方で”LaG-5”と記された文書ばかりを挙げていたが、もちろん「LaGG-5がLa-5になった」とする書籍・解説も見てきた。実は世界の傑作機には、巻頭の方のコラムでは「LaGG-5から……」としている記述もあるのだ。時期も書いてあり、GKOの決議を指していると思われる (GKO決議は1942年9月6日で、世傑でも9月と記述している)。

 

という感じで、この様にはっきりと正式な文書に書かれているのを目にすると、いくらかの驚きがあった。

 

1942年の命令一覧がまとめられているページ、2249番にこの命令が書かれている。

http://www.soldat.ru/doc/gko/gko1942.html

 

この様に文書らしい物や、他にもこういった命令(?)をまとめたページでも同様の内容を確認する事が出来た。

ではLaG-5とは何だろうか? 二つの考えが私の中にある。

 

一つは、「LaG-5というのは誤りであり、この文書のようにLaGG-5からLa-5になったとするのが正しい」というもの。

LaG-5はどこからか発生した誤った説であり、正しくはLaGG-5であるという単純なものだ。

 

二つ目は、「実はどちらも正しいもので、この文書ではLaGG-5とあるように、他の文書ではLaG-5としているものがあるのではないか」というものだ。

世界の傑作機では「当初はまだ開発に関与していたゴルブーノフの名を含んでLaG-5と呼ばれることもあった。」とあったが、これはもしかすると開発者間や設計局内文書で使われていたのではないかと考えたのだ。

 

今のところそういった内容は見つかっておらず、LaG-5という名称の出どころは分かっていない。

だが、もしもこちらも同様に何かの文書に記載されているのであれば、どちらの名称も存在する=どちらも一応は正しいかもしれないと言う事になる。

 

正直私の中では6:4で前者の方が優勢なのだが、ちゃんとわかるまでは今後も調べてみたい。

そして分かり次第記事にもしたいと思う。


2017年10月2日追加

 

“NKAP Order No. 683”というのが気になって少し調べたが、どこを見てもこのような記述ばかり見つかる。

「После декрета ГКО от 6 сентября 1942 года НКАП выпустил приказ № 683 от 8 сентября, изменивший обозначение самолета с ЛаГГ-5 на Ла-5 (Лавочкин-пятый).」

http://arsenal-info.ru/b/book/3697361990/6

 

これは……「NKAPは1942年9月6日に出されたGKOの命令に従い、9月8日にNo.683命令を出し航空機LaGG-5の名称をLa-5とした」的な内容だろうか。

 

こちらのページでもNKAPからのNo.683はLaGG-5からLa-5と書いている。

https://pynop.com/la-5.htm

 

文書のスキャンなどが確認出来ればよいのだが、今のところ見つけられていない。

 

それにしてもLaG-5とは本当にあったのだろうか……?となりつつある調査経過である。